「買い物はイトーヨーカドーでしなさい」とうちの母。
「なぜ?」と6歳の私が聞くと、
「東南にあるから」と母。
「なんで東南のお店で買うの?」と私。
「東南と北西はとても良い方位で、それ以外の方位のお店で買ってはいけない」と母。
6歳の私は、いつもうちの母の言ってることの99%は間違っていることに気づいていた少年だったので、これも間違った見方なんだろうなーと思っていると、「そこの十字路の東南の角とその反対側の北西の角のお店はいつでも繁盛してるでしょ!!」と母。
「東北と南西の角の店はしょっちゅうお店が変わってるでしょ!!」とさらにうちの母。
「確かに」と私は思ったが、そんなのたまたまだろうと思い、その次の十字路の角のお店を見たら、そこも東南ー北西ラインのお店は栄えていた。そのまた先の十字路のお店も同様であった。「ん?もしかしたら母の言ってるたった1%の正しいことがこれなのか!!」と思い、近所のすべての十字路を調べはじめた。すると高確率で東南ー北西ラインのお店、住宅、土地が栄えて立派に見えた。
しかし、そう簡単に母親の言ってることが正しいはずはないと思い、6歳ながら隣町や東京はどうだろうと思い、調べ始めた。
調べ始めてすぐにふとあることに気づいた。「自分の家から東南にあるイトーヨーカドーで買いなさい!!」「ん?日本の一番東南に住んでいる人はどうするんだ??もう東南はないぞ。海か外国になってしまう」やはりこの法則はおかしいのではないかと思い、6歳の私は方位について学び始めた。すると母親の言ってることが珍しく大嘘ではないことがわかったが、やはり間違った解釈をしていることもわかった。人は生年月日によってその月ごとに吉凶の方位があり、いつでも東南・北西が良いわけではない。数年後、実家の十字路の東南ー北西ラインのお店が、なぜ高確率で栄えていたのかも、その地の歴史・方位学の観点から理解できた。
私は占いは信じない。というより信じる占いと信じない占いがある。手相や人相などは信じる。なぜならそれは統計学に基づくものだからだ。ここに線(しわ)がある人は、こうなりやすいという統計に基づいた学問であるから、学んだ人はみな同じ回答になる。こういうものは、私は信じる。風水も学問であって、学んだ人はみな同じ回答になる。しかしながら風水は迷信くさいと思われがちである。「西に水周りがあると失明する」と言ったたぐいのものが多い。これは、「夜つめを切ると親の死に目にあえない」とか「夜口笛を吹くとヘビが出る」と言ったものと同じで、夜、つめを切っても親の死に目にあえないことはないし、夜口笛を吹いてもヘビは出てこない。というか出してみたいものである。(笑)
では、これらは全ていんちきなのか? そうではない。これらは例えである。「夜つめを切ると親の死に目にあえない」は、「暗い夜につめを切ったら危ないからやめなさい」という例えです。しかしこれは昔のことであり、現代では照明設備もしっかりしているので、現代においては、昔ほど得ているとは思わない。「夜口笛を吹くとヘビが出る」は、「夜口笛を吹いたらうるさい、迷惑だ」ということ。夜は昼よりも静かな分だけ、音が目立つ。また寝ている人もいるので、迷惑だということの例えなのだが、これも現代では、場所によっては昼よりも夜の方がにぎやかなところもあるし、昔よりも夜寝ていない人も多くなった。古来日本人は、戒めを例えで表現することがみんなに理解しやすいという考えがあったようだが、この表現の仕方は現代人には通用しない。情報が簡単に手に入り、調べることがたやすくなった現代人は、理にかなったことしか飲み込まない。よって証明できないものの例えは受け付けない。
「西に水回りがあると失明する」西側にトイレや風呂場や台所があると失明するなんてどう考えてもおかしい。迷信か!となる。
ではこれは何を例えたものか。一日の中で最も日差しが強く、地表の温度が上がるのは午後の時間帯であって、このときの太陽の位置は、南西か西である。西に水回りがあると、強い西日により水気のある物は腐敗しやすい。その腐敗したものが水蒸気や気体となって、人の呼吸により、人体に吸収され、体がおかしくなる。だから西側に水気のあるものを作ってはいけないということである。
なるほど!と思われた方が多いと思います。そうなのです。普通にちゃんと言えば良いのです。それを変に例えるから現代人には理解されないのです。風水を知っていようがいなかろうが、西日の猛烈に当っているトイレって嫌じゃないですか?嫌だと思うのは、暑いからだけでしょうか??